憲法・教育基本法改悪反対岡山県連絡会の昼デモ

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2006年9月26日(火)憲法・教育基本法改悪反対連絡会が昼デモを行いました。
教育基本法改悪、「防衛省」昇格法案、国民投票法案、「共謀罪」法案反対を訴えて岡山シンフォニーホールから岡山駅前まで元気にデモ行進を行いました。

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わたしたちのまち岡山を考える市民のつどい2006平和分科会

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力の限り 戦争の愚かさを訴える

 岡山市職労と市民団体が中心になって昨日「市民のつどい」がママカリフォーラムで開催され、平和の分科会では、倉敷在住で泰緬鉄道建設の捕虜収容所で通訳の兵として働き、戦後、謝罪と和解のために渾身の活動を続けて来られた永瀬隆さんを迎えて講演をしていただきました。

 現地で捕虜に対して残虐の限りをつくし、7千人以上の英軍兵士と東南アジア各地から強制連行された1万人以上の人、そして多くの日本人を犠牲にして完成した鉄道は映画「戦場に架ける橋」のモデルにもなりました。

 敗戦後、連合軍の通訳としてタイ各地の200カ所以上の捕虜埋葬場所を掘り返し、そのすさまじさにあらためて胸を痛くした永瀬さんですが、内地に送還されるとき日本兵全員にタイ政府から米2合とザラメが支給されたことに「自国を占領した兵士に貴重な食料を提供するとはなんと暖かい心か」と感動したそうです。

 その後100回以上もタイを訪ね、留学生を受け入れ、現地に寺院や学校を建立し、日本兵と捕虜の和解に奔走した永瀬さんは講演の中で、「政府は戦地で死んでいった日本兵の遺骨を放置し、捕虜にも強制労働させた人にも何もしていない」「それどころか、今度はアメリカのために戦争しようと画策している。」「今の動きは戦前の動きと同じ、絶対に戦争をさせてはならない」と力の限り訴えられました。

 半生を「戦争の後始末」のために捧げてきた89歳の強い叫びに会場は静まりかえりましたが、平和を求める様々な取り組みが会場から報告されると永瀬さんから暖かい励ましの言葉をかけていただきました。

 終わった後の立ち話で「毎日朝から阿倍ののっぺりした気味の悪い顔をテレビで見て気分が悪かったが、みなさんの発言を聞いて今日は本当にすがすがしい気持ちになれた」と話されていました。

 永瀬さんは、2日後にはタイに飛んで「鋭気を養ってくる」そうです。

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韓国ピョンテクの米軍基地拡張反対運動に学ぶ

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 8月27日(日)岡山市勤労者福祉センター4F大会議室で映画監督の中井信介さんのドキュメンタリー映画上映と講演会が開催されました。
フィリピンの元米軍演習場を丹念に取材したDVDを買って見ましたが、中井さんの視点はとても素朴でやさしく、はるか遠い国からやってきたアメリカ軍と住民の生活・人生観の変化の過程をきちんと取材し、常に自分の人生観と向き合いながら問題を追っていきます。
今回は、その中井さんが米軍基地拡張で揺れる韓国の平沢(ピョンテク)の町に住み込んで、機動隊と農民の姿を根気よく追っていくドキュメンタリー「基地に揺れる農村とある映画監督の記録」を見たあと、中井さんの講演がありました。米軍基地拡張がなぜおこなわれているのかを資料を基に説明があったあと現地の様子と感想が述べられましたが、本当にやさしく、人間的な視点で語られました。

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2006年度 在日講座第1回

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2006年7月1日(土)18:00~アジア国際センターで民団主催による「2006年度 在日講座第1回」が開催され、元NHK岡山放送局局長の河村正一さんが「大地の子を支えたもの」と題して講演とビデオ上映がありました。河村さんはプロデューサーとして「大地の子」をドラマ化するためにNHK内部を説き伏せ、原作者の山崎豊子さんの了解を取り、中国政府の許可を得るために東奔西走してやっとのことで成功した経過を詳しく語ってくれました。一つの作品をつくりあげるためには「熱意」「努力」そして「意地」が必要だと感じました。

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日本平和委員会第56回定期全国大会

2006年6月17日(土)~18日(日)群馬県水上町で日本平和委員会第56回定期全国大会が開催されました。
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米軍のトランスフォーメーションに基づく米軍再編や自衛隊の変革方針が打ち出され、それらを先取りした日米共同訓練が行われ、小泉政権の靖国神社参拝問題に見られるように日本の孤立化と軍国主義化が急速に進むなかで、米軍基地再編強化反対、基地撤去の運動、日米共同訓練の反対の運動の重要性がますます明らかにされた大会となりました。また全国の市町村で国民保護計画策定の準備が行われており、アメリカの戦争に国民を動員するための仕組みがつくられつつあり、海外での日米共同作戦を可能にするため、集団的自衛権を否定した憲法九条を改悪する動きが本格化しています。憲法・教育基本法改悪反対の広範な国民的運動と合わせて戦争準備を許さない運動の構築が急がれていることが全国の経験から明らかになりました。

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日本平和委員会中国ブロック会議

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 2006年3月25日(土)~26日(日)広島県立生涯学習センターで日本平和委員会主催の中国ブロック会議が開催されました。
 佐藤光雄代表理事から米軍自衛隊の再編や「2プラス2」について詳しい情勢報告のあと国民保護法の具体化の動きについて報告がありました。

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ベネズエラ3・23友好と連帯のつどい

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2006年3月23日(木)18:30~岡山県総合福祉会館で岡山県AALA主催による「ベネズエラ3・23友好と連帯のつどい」が開催されました。
 ベネズエラは豊かな石油資源がありながらこれまでアメリカ資本に買い叩かれ、国民は貧困のどん底の暮らしを余儀なくされてきました。しかしアメリカの支配からの脱却とキューバをはじめとする中南米諸国との連帯を掲げるチャベス政権の誕生によって石油の富を民衆のために使う政策が進められてきました。しかしチャベス政権の転覆を狙うアメリカは軍のクーデターを起こして大統領を誘拐する事件を引き起こしましたが国民の猛反発によってチャベス大統領は解放され、クーデターは失敗しました。しかし今も「コントラ」部隊による政権転覆を狙ったテロ計画が摘発されています。
 当日はベネズエラから来日した2人の代表と会場の参加者によって終始和やかに交流が行われ、力強い連帯の決意が表明されました。

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イラク戦争から3年 3.20昼デモ

2006年3月20日(月)イラク戦争から3年「3.20昼デモ」が行われました。
060320hirudemo_1全世界にウソをついてはじめたイラク戦争、米軍も自衛隊もイラクに居座る理由はどこにもありません。
今すぐイラクから手を引け!の声がこだましました。

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「憲法改悪反対財田・竜の口学区共同センター」学習会

2006年3月18日(土)神下・乙多見福祉交流プラザで「憲法改悪反対 財田・竜の口学区共同センター」の結成1周年を記念して山崎弘幸弁護士をお招きして「私と憲法九条」と題して講演会を行いました。060318yamasaki

山崎さんは先日結成した「弁護士九条の会」で講演された永瀬 隆さんの経験を題材にして粘り強く侵略の責任を償うための努力がアジアの国々の日本に対する信頼をつくっていることを話されました。

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日本原日米共同訓練反対集会

米海兵隊は、2006年2月19日から3月3日まで岡山県の日本原演習場と滋賀県のあいば野演習場で自衛隊と日米共同訓練を行いました。
060226nihob1 訓練に参加したのは、陸上自衛隊第13旅団第8普通科連隊(米子)と米海兵隊第4海兵師団第23連隊第1大隊C中隊基幹(予備役)の各1個中隊です。
 日本原演習場では今回初めて米軍との共同訓練であり、自衛隊が米軍と一緒になって海外で戦うための訓練です。
 この訓練に反対する集会が2月26日に日本原演習場の地元奈義町で開催され、県内各地から700名が参加して集会後日本原駐屯地までデモ行進しました。米子や岩国からもたくさん駆けつけてきていただき、岩国基地艦載機移転反対の運動と連帯する行動にもなりました。

詳しいことは下記のページをご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/heiwaoka/menu/kiti/nihonb06.htm

集会の写真は下記にあります。
http://homepage2.nifty.com/heiwaoka/menu/kiti/nihonb2.26.htm

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第40回「建国記念の日」を考える県民のつどい

 2006年2月11日(土)13:30~ 岡山大学法文経第19番講義室で 第40回「建国記念の日」を考える県民のつどい ”中国「残留孤児」問題を考える” が開催されました。
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 中国「残留孤児」訴訟を支える会事務局長の小林軍治さんが「中国『残留孤児』の問いかけるもの」と題して講演を行いました。また中国「残留孤児」訴訟副弁護団長の近藤 剛さんが「中国『残留孤児』訴訟の現状と課題」について報告を行いました。

 「満蒙開拓団」や「少年義勇軍」として入植した成年男性は1945年4月~7月に「開拓団根こそぎ応召」で兵隊にとられてしまい、残ったのは老人と女性、子供だけでした。この時期には関東軍は開拓団を見捨てて撤退してしまいます。ソ連の参戦で開拓団員は夜間逃避行で山間を歩き続け、病気や衰弱でたくさんの人がなくなり、小さな子供や赤ん坊が置き去りにされてしまいました。日本軍によって土地や家を奪われていた多くの中国人は日本人を助けようとはしませんでしたが、そこで生き残ってやさしい中国人に育てられた人たちが「残留孤児」となってしまいました。

 当時の教育によって敗戦後に「集団自決」した開拓団やソ連軍に抵抗して全滅した開拓団もあります。
 当時残っていた約22万人の開拓団員のうち約8万人がなくなりました。
 生き残った「孤児」たちは「日本鬼子」としていじめられ続けて育ちました。しかし日本政府は中国敵視政策をとり、行方不明者の捜索をしようとせず、赤十字などの民間により細々と引き上げ作業が行われただけでした。
 1959年日本政府は「戦時死亡宣告」(未帰還者に関する特別措置法)で帰国作業を打ち切ってしまいました。

 1972年日中国交回復後10年近くたった1981年にやっと集団訪日調査を開始しました。しかしやっと帰国できた「孤児」に対して「自立支援法」によるお粗末な支援のみで、高年齢になってからでは言葉や習慣の違いもなかなか克服できず、皮肉なことに日本では「中国人」としてしか扱われず、「孤児」たちの多くが生活保護を余儀なくされています。

 2002年東京地裁に集団提訴、2004年岡山第1次提訴
 国の「孤児」への度重なる棄民政策の責任を問い、老後の生活保障を求めた。
 2006年2月15日第8回口頭弁論の予定

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岡山県AALA総会と新春学習会

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2006年1月7日(土)民主会館で岡山県AALAの総会と新春学習会が開催され、岡山・十五年戦争資料センターの上羽 修 さんが「地域の戦争責任を問う」と題して講演を行いました。
上羽さんは、岡山の旧陸軍歩兵部隊が中国河北省で治安掃討戦を行い、毒ガスを使って村民を虐殺した歴史の聞き取り調査を通じて、まさに今イラクで行われていることをわれわれの郷土の先輩たちが中国で行ってきたことをもっと正面から受け止めることによって「不戦国家」から「外征国家」に変わろうとしている今の「この国のあり方」をめぐる流れを変える必要があることを訴えました。

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三軒屋駐屯地創設50周年記念日行事

2005年11月13日(日)に三軒屋駐屯地創設50周年記念日行事が行われました。DSyard

しかし、今年は装備品展示のみの公開で、祝賀会が体育館で行われただけでした。DSCN1311

駐屯地内は2階建てRC隊舎新設工事、後方支援隊の配置に伴う車両整備工場新設工事、弾薬庫新設工事が行われていて工事だらけの状態でした。newmagazine

弾薬庫新設はこれで3年続き、駐屯地の奥に通じる道に沿ってかなり手前に巨大な弾薬庫が2つ見え、3棟目が建設中でした。110mm

装備品展示もただ並べているだけで実践時の周辺機器などもなくあっさりとしたものでした。84mmbazooka

装備品では110ミリ対戦車弾は「弾」であるので使い捨てだが、84ミリ無反動砲は「砲」であるので弾を装填し、本体は継続使用を前提としていると説明してくれました。

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日本原基地調査

2005年11月12日(土)日本平和大会岡山県実行委員会主催による恒例の日本原基地調査が行われました。rocket

日本原演習場では数年前から東弾着地付近が次々と整備され、対戦車弾訓練が行われてきましたが、今年はさらに拡張され、その隣に拳銃射場も整備されていました。
日本原では最近ヘリコプター訓練が頻繁に行われ、夜間も騒音が激しくなっています。
演習場外での夜間行進訓練も行われ、基地被害が近隣に拡大しています。sennyus

機関銃台座が置かれていた潜入射場は大規模な土木工事でまったく新しく作り変えられ、敵陣地攻略の実践的訓練ができるようになっていました。
徹甲弾標的ドームの背後地が旧勝北町側に拡張され、射場のほうも防音壁工事が行われており、今後徹甲弾訓練が激しくなるものと予測されますkihon01

基本射場ではサッカーゴール2つ分ほどもあるまったく新しい小銃射撃場ができあがっていました。
これには自動で射撃を評価できる「小火器射撃評価システム」が整備され、標的部には的を付ける台座に自動射撃感知装置があり、電気信号で射撃場所の端末からモニターで瞬時に射撃成績がわかるようになっています。kihon02

また、このシステムを制御する管理棟が新たに作られ、検閲官が全員の射撃成績をモニターで確認することができるようです。
このシステムは「パブコック日立㈱」という焼却炉から原子炉まで手がけている会社が随意契約で納入しています。kihon03

道べりにつくられたテロ対策訓練場では、ベニヤ板で囲った家や店舗がつくられ、簡易な都市型訓練施設をつくろうとしていました。建物の内部は弾薬箱を積み上げて補強されています。
日本原駐屯地では来年度に予定されている第二混成団の戦車中隊の配置を見越した大規模な車両整備工場が建設中でした。combattown

1年でこれだけ大規模な動きがあったのは初めてです。戦車中隊の配置だけでは説明できない大規模、広範囲な施設整備は米軍との共同演習を予定している可能性があります。

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牛窓 唐子おどり

2005年10月23日 日朝協会再建準備会が牛窓の唐子おどり見学ツアーを行いました。牛窓は古くから瀬戸内海航路の重要な中継港で、「潮待ち・風待ちの港」として栄えました。danjiri01

牛窓の各地区ごとにあるだんじりには舟形をした立派なだんじりがいくつかあり、船大工でにぎわった当時の面影を残しています。
豊臣秀吉は2度にわたり朝鮮半島に攻め入り、凶暴な皆殺しと破壊・略奪をすると同時に、ありとあらゆる文化財を持ち帰り、知識人、アーティスト、エンジニア、王族の女性を何千人も連行しました。
このときの優秀な朝鮮人によって有田焼きなどが生まれました。danjiri2

秀吉の死後、家康は朝鮮との関係改善のため使節を送り、朝鮮通信使の歴史が始まりました。
朝鮮通信使は徳川時代に将軍が代わるのにあわせて送られ、親書を携え、学者や文人、芸人も連れて盛大に行われ、幕府も各地の大名に命じて最大限の盛大なもてなしを行い、これにより徳川時代は朝鮮との長い友好を実現させました。mikosi

この通信使は牛窓にも何度も立ち寄り、唐子踊りはそのときに伝わったのであろうといわれています。
この日は牛窓神社のお祭りの日で、各地区からだんじりが練り歩き、神輿が繰り出て町全体がお祭りのムードになっており、唐子踊りは4ヶ所で奉納されました。odori1

どう見ても日本の衣装ではなく、肩車されて登場した2人の子供が意味不明の口上を述べたあとお囃しに合わせて対になって踊るのですが、これも盆おどりや日舞などとはまったく違うもので、ゆっくりした剣舞とか拳舞に近いものです。
秀吉の朝鮮侵略のあとで300年も朝鮮と友好の歴史があったあと、明治政府は朝鮮を軍事的圧力で支配下においてしまい、ついに「併合」してしまいます。odori2

敗戦後、60年もたっているのに日本はいまだに北朝鮮との国交さえ実現していません。
民間では韓国との交流が進んでいますが、政府間は冷え切った状態です。
在日外国人についても日本政府は差別的制度を廃止しようとしていません。
日本は、世界の人たちと友好親善を実現することによって戦争をなくしていこうと決意した憲法すら変えようとし、アメリカの目下の同盟者の立場に固執して世界からの孤立をいっそう深めています。
いくつかの戦争や支配を克服して、朝鮮通信使をはじめとした日本と朝鮮半島の何千年という友好の歴史を再認識して友好を実現していく努力をするべきときと思います。

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2005ピースエッグinおかやま

2005年10月8日~10日 岡山県青少年教育センター閑谷学校で2005ピースエッグinおかやま(青年平和学校)が開催され、全国から180名の青年が参加しました。sizutani

今回のテーマは「かわる」「ひろがる」「むきあう」です。グループ討論交流を中心として、9条の会事務局長の小森陽一さんの記念講演や分科会、全体交流会などで青年たちが2泊3日にわたって一緒に平和を考えました。reception

「ピースエッグ」は日本平和委員会が毎年各地で開催している企画で、前回の青森での開催以後、岡山県の地元で青年たちが実行委員会を結成して準備してきたものです。PEfinal

詳しくはホームページで見てください。
http://happytown.orahoo.com/10-8egg/

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市民のつどい平和の分科会

 2005年9月18日(日)10:00~三光荘で「市民のつどいおかやま2005」の「平和の特別分科会」が開催されました。bunkakai

 今年で3年目になるこの分科会のテーマは「岡山から戦争と平和を語り継ぐ」で、メイン講師に沖縄ひめゆり平和祈念資料館の「次世代プロジェクト」で「説明員」に採用された若い女性の仲田晃子さんを迎えて「次世代プロジェクト~ひめゆり平和祈念資料館の試み~」と題して報告をいただきました。nakada

 続いてNPO法人平和推進岡山市民協議会専務理事の南條節夫さんから「岡山市平和館」の取組みについて、また岡山市保健福祉部長さんから「戦後60周年企画」について報告がありました。sawachi

 参加者からは、「空襲や戦争のことをもっと話せる場がほしい、今のうちに話しておかないといけない。」という声がありました。岡山から戦争と平和を「語り継ぎ」「次世代に伝える」ために「岡山市平和館」をはじめさまざまな取組みが必要です。
 午後からは「市民のつどいおかやま」の全体総会で澤地久子さんの記念講演が行われました。

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日本原駐屯地創設40周年記念日行事

日本原駐屯地創設40周年記念日行事が2005年9月17日(土)の午前中に開催されました。
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記念式典では来賓あいさつに続き観閲式、観閲行進が行われました。
日本原駐屯地の主力部隊は第13特科隊、第13戦車中隊、第13高射特科中隊です。
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来年は四国の第2混成団から戦車中隊を受け入れる予定です。
昨年から第13後方支援隊第2整備中隊が配属され、各中隊の車両整備などを担当しています。
日本原駐屯地では売店などの厚生施設、大規模な隊員食堂、車両整備場などが相次いで新設され、今年も大規模な車両整備施設が建設されています。
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日本原駐屯地から今年3名がイラクに派遣され、帰隊していますが、この日の記念日行事でこのうち2名が紹介されました。
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今年の国体では地元の奈義町で銃剣道の試合が行われますが、日本原駐屯地のチームが3年連続で全国優勝していることが紹介されました。
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訓練展示では侵攻してきた赤い星のマークを付けた敵戦車と部隊に対し、出雲の偵察部隊、短SAM、UH-1ヘリで降下したレンジャー部隊、74式戦車、FH70榴弾砲、明野駐屯地のコブラ等で殲滅する想定でした。
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事態想定そのものは「ありえない」ものですが、舞台を海外に想定すれば考えられないこともありません。
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しかし、米軍なしで陸上自衛隊だけの、それも戦車を持った敵との地上戦などを想定する意味が不明です。
40周年記念だからなのかもしれませんが、今年の訓練展示では155ミリ榴弾砲がやたらと撃たれて、軍事オタクらしき参加者からも「まだやるのか」「耳がおかしくなるのでもうやめてくれ」という声があがっていて、子供は泣きだすし、やりすぎの感がありました。
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旧PX施設では自衛隊の活動紹介パネルが今年も展示されていましたが、その奥にとんでもない戦争資料館ができていました。
これは今後常設されるものと思われますが、入り口に駐屯地指令の書で、日清・日露からの「我々の先輩たち」の「遺徳を顕彰する」と書かれてありました。
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展示室は明治の軍神の肖像画から始まり、「大東亜戦争」の地図、軍服の展示や戦死者の遺影が飾られまるで靖国神社の遊就館のイメージそのものです。
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自衛隊はいつから「皇軍の軍人」を「我々の先輩」と呼ぶようになったのでしょうか。
「祖国防衛」から「人道復興支援」へ言葉を変えても結局「米軍支援の自衛隊」の本質は語られないままです。
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子供を戦車に乗せて写真を撮る親のもとでこのままなしくずしで子供たちに「すでにあるもの」として憲法違反の自衛隊が認識されていくのでしょうか。
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顔を迷彩で隠して子供たちのそばで待機する偵察隊員は父親として子供に自信を持ってその姿を見せられるでしょうか。teisatu1

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原水爆禁止国民平和大行進兵庫県から引継ぎ

2005年7月16日(土)お昼に備前市寒河の宇野バスターミナルで兵庫県からの行進を迎え、引継ぎ集会が行われました。kayo2005
東京―広島コースの全国通し行進者4人が元気にあいさつをしました。→
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岡山の水島平和委員会の奈木野さんも元気に歩き通しています。
彼女の行進日記をぜひご覧ください。http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=CQC01274&n=1
↑かよさんの「歓迎横断幕」も飾られ、がんばれウチワも配られました。

このあと県内通し行進者(風変わりな2人とまともな女性1人)が紹介されました。→
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引継ぎ集会が終わって行進が出発して、すぐにスポーツパークにたどり着き、今度は岡山県内での国民平和大行進と市民ピースリレーの合同の出発集会です。rirei
←冷たいお茶をいただいてミニコンサートもある取り組みです。

うたを歌うと不思議と元気が出ます。でももう思い出せない歌もたくさんあって、気になってずっと考え込んでしまいました。体力だけでなく記憶も衰えているのでしょう。


ここから一緒に出発して備前市日生支所まで一緒に歩き、そこから国民平和大行進はさらに片上の備前市役所まで海岸べりを歩きます。→umibe

この日はうす曇りで強い日差しもなく、海辺の風があるときは良かったのですが、片上に近づくにつれ、西日が強くなり、風もなくなって少しきつかったと感じましたが、issyo


通し行進の人は早朝から県境の峠を歩いて休むまもなく車の中で弁当を食べて行進を続けています。そしてまた明日もその次の日も炎天下の行進です。それに比べると半日だけの海辺のコースをきついと感じる自分はきっと日ごろから体力を消耗しているのだと思いました。

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安斎育郎 立命館大学国際平和ミュージアム館長講演

 2005年6月26日(日)14:00~岡山市勤労者福祉センターでNPO法人平和推進岡山市民協議会主催の「岡山空襲平和資料館(へいわかん)開館記念講演」で立命館大学教授で立命館大学国際平和ミュージアム館長の安斎育郎氏が「戦後60年、憲法9条と平和館の役割」と題して講演を行いました。05NPOAnzai

 立命館大学は戦前に軍国主義の先陣を切って学生が天皇を守護し、学徒出陣や学徒勤労動員で多くの学生の命を失った苦い経験から、それを深く反省し、戦後は平和を旗印にしてきたそうです。そのなかで1992年に立命館大学国際平和ミュージアムを開設し、現在までに45万人が入場しています。

 平和博物館は「過去と誠実に向き合い」「平和のために友好を促進するために」学習できる場である必要があります。自分や自国に都合の悪いことを覆い隠したり、開き直ったりせず、率直に究明して反省し謝罪する姿勢がなければ友好は期待できません。

 世界に平和博物館は100以上ありますが半数以上は日本にあって、そのほとんどが自治体がつくっています。
侵略を受けた歴史の告発と民族の優秀性のみを訴える博物館や侵略した事実を覆い隠して優秀な技術や自己犠牲の精神だけを取り上げたり、侵略したことを「正義のため、解放のため」と偽ったりするような博物館は平和を創造することはできません。

 平和博物館がお互いに連絡を取り合ってネットワークを形成しているのも日本だけだそうです。岡山の地から「へいわかん」を拠点に自治体や他の博物館とのネットワークを広げていくことが重要だと感じました。

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